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直観

皆さんは、直観って大切にしていますか?
いつも、論理的な理由があって動く私ですが、そんな私は 結構 論理よりも直観で動きます。
論理は、その直感を補う存在という具合。

直観をウィキペディアで調べてみるとこうかいてありました。

知識の持ち主が熟知している知の領域で持つ、推論、類推など論理操作を差し挾まない直接的かつ即時的な認識の形式である。

私は別に知識に熟知している訳でもない、ただの大人ですが、閃きとか、直観というのを働かせるようには意識はしています。働かせるという言い方は正確じゃ無いですね。意識的にできる訳では無いので、捉えるようにしてると言うべきか。

直観って、瞬発的なものです。頭に描かれるのも瞬発的で、忘れるのも瞬発的です。
この瞬発的な所の閃きが決して正解という事ではなく、一見してただの思い付き、ただの妄想という事だってあります。
それが直観的なモノなのかという点において知識と柔軟性で補足するという感じです。

直観で大事なのは、直観から行動に移せるかどうか…という所です。

これが出来なければ、それが素晴らしい金脈を掘り当てる程の閃きであっても、掴む事はデキません。
でも、瞬発的な閃きは、忘れるのも瞬発的、そんなある意味では、思考ノイズとも言えるようなモノの為に行動なんてできない。又はメンドクサイ…なんて思っていると決して変化はおきません。

私は何より変化が好きです。

変化とは、波であり、曲線です。そして曲線美とも言えます。
行動に移すまでは、億劫かもしれません。

私はデキないという言葉は嫌いです。 でも当然に出来ない事もあるのです。
当然です。

しかし、デキないという言葉は、99%デキる事であっても、本人がデキないと認めてしまえば、デキる可能性は0%です。
世の中、YESか、NOという様な単純なモノではりませんよね。
変化がある…つまりは、波があるという段階で、この世界の事象は限りなくアナログなのです。

0.1%の可能性であっても、本人がデキると言い続ける限りは、いつかは100%になるかもしれません。
100%まで行かなくても、50%のデキるで問題は解決するかもしれません。

デキないという言葉は、結果 何も生み出さない。 それは自らの可能性を自ら閉ざしているという事であり、生物的に言うと、生きるという行為が生物としての可能性の模索の結果であるならば、デキないという言葉は自殺しているのと結果変わりません。

だから絶対に言うなって、子どもに言うんです。
実際はデキないのではなく、9割はデキる方法、どうならデキるのか?という可能性を模索する思考をしないからです。 考えない。
経営者サイドから想像したら、あり得ない思考パターンです。

それでもなお、デキないと喚くなら、崖から落としてやったらいい(‘ω’) と私は思ってます。
心の底から生きたい、つまりは可能性の模索に頭を切り替えられるという危機意識を持って初めて生きるの意味を知るのなら…。

落とせる程度の崖だと安全にリスクを体験できるでしょ(‘ω’) そこが優しさ。
とはいえ、そこまでしなくても理解できるのが望ましいのだけど。

10m位の崖なら安全じゃないですか(*‘ω‘ *)
子どもって、木登りとかで5mとか余裕でひょいひょい上がれるんだから。
とはいえ、今木登りとか、上り棒とかないですもんね。 ドンドン貧弱な生き物になっていく気がする…。最近の子ども見てると。
なんか、スキルによるという事じゃなくて、 生物として地の能力というのかな。
木の上で遊んだりといっても、最近のアスレチックとかって整備されすぎて、なんか…。なんやろね。
本来なら、上りながら、木の皮の腐食具合から、ここ掴んだあらヤバいとかそういうの無いよね。整備され過ぎて、頭使わず、ただ渡れた~とか。

ε-(´・_・`) あっそ… としか思えないアイテムしかあらへん。

そういう意味で、リアルな自然に触れないというのは、あかんね。色々と失敗しない環境が整えられすぎてる。失敗こそが学びだというのに。

直観の話に戻します。

直観というのは、瞬発的な閃きを瞬発的に捉え、それに伴う高速の意思決定が必要であり、そして行動に移す為に自分自身を信じるという自己肯定感が無ければなりません。

直観によって出た行動は後悔もしにくいものです。
実際、直観における研究結果では、直観で捉えた判断と、考えて出した判断ととでは、違いはなく、逆に直観の方が当たる確率が高いとされています。

ただ、この直観というのは、FXやギャンブルの様なそういうモノではありません。他人がコントロールするような結果に対する直観ではありません。

私が思うに、直観とは、やっぱり思考ノイズだと思うのです。
ただ、思考ノイズという良い方をすると、悪いモノの様なイメージですが、なんというのかな…。 平面的な思考が立体的に交差するという感じ?

ちょっと、ワームホールの絵で説明した方が分かりやすいかも

例えば、一般的に『ワープ』って言葉ありますよね。
A地点から、B地点までを平面で捉えると、1時間の距離だったとします。それは平面を移動しているからですが、そもそも空間を捻じ曲げて A地点とB地点をくっつけてしまえば、移動時間0秒 という事だって可能な訳です。
これがワープというか、ワームホールの考え方ね。

人間の頭の中は、基本的に脳みそ。私用語でいう 白子 ですが。
白子の中は、神経細胞が巡っております。神経細胞はニューロンというアメーバみたいなの同士が連結し、その中を電気信号が行き来きして、思考・記憶などが巡っています。アメーバ同士は完全に連結しているというよりは、隙間があります。 電車のレールみたいな感じ。
この隙間の事をシナプスといいます。

3D rendering of a network of neuron cells and synapses through which electrical impulses and discharges pass during the transmission of information inside the human brain

この中を電気信号が流れて、隙間を、神経伝達物質に変換されて、次のアメーバに流れて行きます。
シナプス間の隙間を、神経伝達物質の球みたいなのが投げられて、次のアメーバのキャッチャーがそれを受け取ってまた電気信号になって連鎖していきます。このキャッチャーの事をレセプターと言いますが、企業での接客などでもあるレセプション と同じ語源です。 受け取る・受付という事から来ています。
神経伝達物質に、セロトニンとか、ドーパミンとか色々あって感情と呼ばれるモノ、いわゆる心と思われいるものも、こうした伝達物質の如何によって左右されてるって話です。

ちょっと理科的なあれやけど。

結局人も、 ニューロンという 電気配線によって考えて動いているという事なので、私は生き物もパソコンも違いなんて無いのだと思うのだけど、一般的に機械だからという別認識をされる事が多く。 雑に扱われるパソコン達が不憫でしかたありません。

さて、この前情報を理解して頂いた後、この直観というのは何かというと、通常 思考をするというのは、同じ内容は同じ経路を通って思考はされる事が多いとされます。繰り返すと習得するというのはそういう事ですが、本来 通りそうなルートではなく、いきなり別ルートから飛んできたイレギュラーな電気信号だと思っています。ワープみたいに。

そういう意味で、思考ノイズ

でも、この思考ノイズ さっきのワームホールの例で言う様に、 いきなり最短ルートで突然出てきたから、(゚Д゚)エッ ってなるんです。

いつもと違うルートだから、それを閃きと感じるのではないかなというのが私の見解です。
ただ、繰り返されたルートではないので、非常に弱く、忘れやすい。

でも、それも1つの思考だと思うのです。

ただ、問題はそれを信じられるかどうかという、自分自身がこれまでの経験からではないので、認識できない事を信じられるか…という所です。

そこで次が行動という事になります。
行動とは感情です。

人は、理屈を色々論理だって言いますが、8割感情で、2割が論理と言っても良いくらい。感情的な生き物です。
それでこそ、人間らしい…という所です。

この瞬発的に消えそうな閃きは、感情を動かすほどの力はありません。
だって、直ぐに忘れちゃうもの。

そこで、はいっ!さっきの話に戻ります。 話が行ったり来たりするけど、全体を掴んでね。

デキないという人には、何であっても出来ません。 デキると信じる人には、何であっても出来ます。
この瞬発的な思考ノイズは誰もに発生するイレギュラーな信号です。一瞬。それを

(/・ω・)/ おっ?!やってみようかな?

と思い、瞬時に思考して行動に移す。
この流れに乗せれるのが、普段から デキないって 言わない人に限定されるんです。

(/・ω・)/ これめちゃ大事。

例えが 私の時代のNHK教育テレビですまないね。
学校では勉強してないけど、私の学びは ほぼ NHK教育テレビがベースになっているので(笑)

では、このデキる言う人と、デキないという人の違いはどこにあるのかというと、簿記的な機会損失について考えてるかどうかという点だと考えます。

機会損失とは、本来ならもっと利益を出すことができた状況で、取るべき行動をとらなかったことによって生じた架空の損失を指します。 機会損失は「チャンスロス」や「儲け損ない」とも呼ばれ、実際に出た損失とは意味が異なります。

何かを得るというのは、何かを失うことだ

というのは、私のブログで度々出てくる事です。
原則はそうです。物理の世界的にもそう。

でも、それは一部分だけを見たら…という事です。
では、もし 選択を2つできればどうですか? 何かを失う事なく、何かを得るというのが アベレージとして可能なのです。

つまり、人が1つの時間に1つの事しかできない時に、1つの時間に複数の事を同時に行う、又は複数回トライする。
こうする事で、アベレージ(平均)的に、何も失わず、何かを得るは可能です。

その為には、瞬発的に判断し、行動してトライする という事が必要です。

その結果、機会損失の考え方から言えば、何もやらない という事の損失の方が リスクがデカいという事が体感するはずです。

何か迷って判断できず、ウダウダと言ってる間に、やってしまったらいいのに…。

という、私がいつも言う言葉に繋がってきます。

私の言葉は別に悪意はありません。純粋にやらない理由。つまりは言い訳を述べて正当化しなくったって、誰もあなたを責めないし、その結果を享受するのはあなた自身なのだから。 という純粋な目線です。

直観に限らず、高速で判断を下す というのは、失敗しないと保証されてるから下せるのではないのです。
失敗してもいいという大前提があるからデキる事で、結果的に 機会損失を生み出さなくなります。

そもそも論として、失敗も成功も存在しないのに、ある地点からの観察結果を、そのようにカテゴライズしたがるのは、ちょっと古典的。そして非常に閉鎖的狭い視野。

とはいえ、何も努力しなくて、閃きを行動に移せる訳ではありません。

最初のWikipediaの内容

知識の持ち主が熟知している知の領域で持つ、推論、類推など論理操作を差し挾まない直接的かつ即時的な認識の形式である。

であるように、第一に知識が浅いと、閃きもまた浅いモノしか生まれません。
ほら、ちびっ子

良い事考えた!

って出てくる閃きって、大人から見ると

(´・ω・) あ…うん。ちょっと黙っといてくれる

って感じでしょ。

それが大人同士の間でも当然に発生しているんです。
(*‘ω‘ *) 本読もうぜ

次に直感を信じれるかという点は、いかに多くの危機から脱しれたかという経験が必要で、自己肯定感が必要です。そして、ローリスクで、アベレージとしての機会損失を出さないために、スピードが要求されます。

なので、本読んだからって全てが身につくもんじゃないんだよねぇ。

結果的に、直感は、後悔しにくい人生歩めるってわけ

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