授業中などの為、お電話番号は070-4436-3251 にて伝言を承っております。メッセージを残して頂けますと折り返しご連絡させて頂きます。

本気じゃないから頑張るなんて言うんだよ

病み上がり1発目BLOG

本調子に戻す為のステップです。

寝込んでいる間、何もすることが無いというよりもできないし、寝ないといけない。とはいえ爆睡できたのは最初だけ、普段4,5時間の睡眠の人間がこうも時間を与えられると色々と考え事ができます。

テレビも見てみた。平日の朝~夜中 終始ベッドから動けないし、動いたら寝落ちれないと思うから動かない様にと思い。
こうしてテレビを見るというのも、何年も無かったけれど、久しぶりに見て思いました。

SNS系にあるショート動画張りに質が低い。 見ているだけで本当に時間の無駄な内容しかないなと
NHKの一部位かもしれない。まともにみれるの。

それを改めて知れたのは、1つの収穫だったかもしれない。時間がある時じゃないとこういう検証はデキないし。
本当にテレビ無くて良い時代になったものだと思いました。

先日生徒さんに

先生の手厳しい部分キタ━━━(゚∀゚)━━━!!

って言われた内容について書いてみます。
私は別に何も手厳しい事は1つも言ってないつもりなんだけども。

「頑張った」なんてどうでもいい

という事です。

この頑張る・努力という事を1つの美学にしている側面がある社会性があるのも事実で、色々と混在して今があるので1つ1つ紐解いて行こうという試みです。

頑張り・努力・目的・手段・結果・感動・習得 この辺の要素が変に絡み合っているからだと思うので

INDEX

欲求→願望

人は何かを得たいと思うのは、今それが満たされてないからです。
分かりやすくいえば、お腹一杯でもう食べれない!という満腹の時に、美味しそうなイチゴパフェがあっても食べたいとは思いません。

それがどれほど素晴らしくとも、それを望まない限り人はそれを得たいとは思わないし、行動にも映りません。
全ては願望から始まります。 願望は、これまで蓄えられてきた知識を使って、ロードマップが頭で描かれ、それから行動に移ります。
それ故、行動の如何というのは、最初の願望がどこまで強いかというのが、その成功の是非に大きく影響を与えるのです。

物質的には恵まれている日本国内ですが、日本国内にいると、この願望というのはどうしても弱くなります。
満たされていれば欲求が出てこないのと同じ様に。
その為、どこまでその願望に対して渇望する程の欲求に自分自身を落とし込めるか、というセルフイメージが成功の是非を分ける事になります。

子どもの夢で、同じ能力で、将来の夢が、医者になる事だとします。
A君:医者になれたらいいなぁ… と
B君:絶対に医者になる と
C君:私が医者にならなきゃ、家族が死んでしまう!

だと達成確率は、C君が一番高くなります。 

その願望具合というのは、その人の言葉によくあらわれるモノです。
願望は、自己欲求という部分もさることながら、切迫感を追加する事で、さらに比重を上げる事ができます。
例えば、サマーバーゲン40%OFF なんて時間制限を与えられたら、願望はさらに高まりますよね。

願望→ロードマップ

願望をかなえる為、最終的な目的達成する為には、事前のロードマップが必要となります。
地図が無くては、どこへも行けません。 航海図を持たずに大海原に出る船などありません。

全体把握の中で、どのルートが適切かを判断するのが知識です。

ロードマップは1系統しかルートが無いものもあれば、複数ルートがあるものもありますが、多くが複数のルートが存在します。
その複数のルートは、これまでの経験や環境によってショートカットできる事もあります。

大阪から東京へ行くにしても

  • 飛行機
  • 新幹線
  • 夜行バス
  • バイク
  • 自転車
  • ヒッチハイク
  • 徒歩

ルートはそれぞれで、一長一短ありますが、結果的に東京へ行くという事に何の違いもありません。
どのルートを辿るのかは、その時の環境によりますが、必ずしも最速である飛行機や新幹線が正しいという事にはなりません。
徒歩でいけば、その行く過程の中で、様々な人と出会い、さらに別の可能性も出てくるかもしれません。

スピードを上げて移動する、パフォーマンスだけを考えるのが、最近のトレンドですが、パフォーマンスは、ただの合理的判断の1つではありますが、合理性とは、1つの解を得る為の合理性であって、それ以外の可能性を全て排除して…というのが前提です。
可能性を捨てる、何かに特化させるというのは、同時に「別の可能性を捨てた」というリスクを背負っているという事を知らなければなりません。

しかし、現実的にはやはり早期に目的達成することが望ましく、その為には効率化は必要です。

さて、ここの部分。

例えば4月1日から東京勤務の為、A君は大阪から4日前に自転車に乗って大阪を出ました。 奈良・三重・愛知・静岡・神奈川・東京と走りました。
A君は頑張りました。お風呂にも入れず、ボロボロの状態です、途中パンクもしたり、雨に打たれたり、真夜中に箱根峠を孤独に超えて頑張りました。

同時にBさんも4月1日から東京勤務です、前日に新幹線で到着し、ビジネスホテルに泊まり、優雅に朝出勤しました。

A君の努力は素晴らしいです、その精神力と体力は本当に素晴らしい。
しかし、会社にとってみれば、Bさんが評価されるのは当然です。

会社にとっては、A君が努力して来た事など関係が無いからです。

私は努力した。 私はこれだけ頑張ったのに! というのは、自分という世界で見ると、確かにそうですし、それ避難する事ではありません。
が、その努力は無駄な努力だとも言えます。

努力は無駄なのか

努力は無駄なのではなく、努力はして当然の事であって、あえて努力なんて言っているという前提がちょっとおかしいというのが結論になるのです。

野球選手が、10-0 でコールドで負けたとします。
その試合のインタビューで、0点でコールド負けになりましたが、僕たちは毎日厳しいトレーニングをして、頑張りました。努力しました!

ってインタビューしてたらどうですか? 冷めるでしょ?
野球選手は、試合に勝つ事が求められているのであって、努力が求められている訳ではありません。
勿論、その結果の過程に努力はあります。 目的は勝つ事。 努力は手段に過ぎません。

努力が無駄なのではなく、努力は評価対象にならないという事です。
頑張ったが無駄なのではなく、頑張ったは評価対象にならないという事です

これは本当に根深い問題です。 日本企業が発展しない理由の1つでもあります。
それ故に、仕事の生産性を上げて早く帰るという事をしない、残業が長いと美学の様になっているのもあります。
嫌な事ならさっさと終わらせて早く帰ればいいのに。
これまで10時間かかってきた仕事を RPA(自動化プログラム)で3時間で終わらせて帰る事だってありだと思います。
しかし、それを評価する上司の頭が古すぎて、未だに昭和の感覚が根強く、サラリーマンは24時間働くのが美学な所があります。

勿論、上に上がりたいのであれば、24時間働くは美学というか当然の感覚なんですが、別に上に上がりたいと思ってる訳じゃない平社員まで、自分達の価値観を押し付けなくてもいいとは思うのです。

ここでいう24時間働くというのは、24時間実働をしているという事であなく、24時間常にアンテナを張りっぱなしにしているという感じね

同系列で『努力していれば必ず報われる』というのがありますが、当然これは嘘ですね。
『努力』は手段であって、必ずしも『報われる』という結果と、イコールで繋がる訳ではありません。
可能性を上げるという事です。

いい加減、努力すれば報われるなんて言葉使うの辞めたら良いのに、本当に 偽善だよ。
この言葉を言う人は。本当に良くない。
ただし、学校の勉強においてのみ、これは本当。しかし、この感性で大人になるのが恐ろしい。

努力・習得・感動

合理性、結果主義という観点から見ると、努力の有無はその評価対象にはなりませんが、努力や頑張りといのには2つ効果が発動します

1つは 努力は習得に不可欠
1つは 努力は傍観者の心を動かす

この2点です。

努力は習得に不可欠

何度となくBlogでも書いてますが、習得には痛みが伴います。正確には、痛みを伴わない習得というのは、浅いものになります。
それ故に、何かを学ばせる場合には痛みが必要です。

この痛みとは苦痛感であったり、また苦労であったり、プラスの状況のものでは無く、マイナスからプラスに転換する際に習得という行為が蓄積されます。

例えば、学生が Googleで調べれば何でも答えが出てくる というのは正論です。
だから、Googleが使えるのなら、別に勉強しなくても良いじゃないかというのも正論です。

ただし、それは今、目の前にある問題に対しての解答の是非という点においてはそうです。
なぜ、あえてそれを、苦労を伴うノートへの板書や、苦しみながら問題を解き続けるのが必要かというのは、私たちが動物だからです。
動物である以上、苦痛から転換する作用が必要だからです。

これは何かを習得するという側面で見た場合には必要な事です。
しかし、大人になって学習プロセスから、実践プロセスに入ってしまえば、次はどれだけ努力して問題を解決したかという事は、どうでも良く短時間に正確に結果を出せる事が求められます。

では、大人になって使わないのなら、勉強なんて苦労してする必要ないじゃないか…というのも当然出てくる、子どもの返しだと思います。
もし、そんな言葉を言って来たら、こう返してあげてください。

社会とは、騙し合い・奪い合いを合法的に行う世界。
問題を解く力とは、同時に問題とは何かを定義する事が出来る力。
勉強しない人は、自分が騙されているという問題すら見つけられないって事。
何が問題かすらわからなければ、Google先生に質問する事も、質問する言葉も出てこない。 

努力は傍観者の心を動かす

人の心を動かすのには色々な手法がありますが、物語展開させるというのも1つです。

例えば

A君は、裕福な家庭に育ち、家族から愛された。A君は努力し、見事司法試験に合格し、立派な弁護士として活躍し、素敵な奥さんと出会い結婚した。

という物語があった場合、へぇ~ 良かったやん。 で終わります。

例えば

B君は、貧しい家庭に育ち、家族もどこかへ行ってしまった。一人で生きる為に、昼間は働き、夜に勉強し、高卒の資格を得た。昔は食べる事も事欠いていたのに、今は住み込みの旅館で働き、月12万円の給与から2万円を貯金して次は大学を目指している。

という物語があった場合、へぇ~B君 大変やったなぁ。頑張ってほしいなぁ で終わります。

例えば

C君は、元は裕福な家庭に育っていたけれど、父親の事業が失敗。母は行方不明となり、父は精神的に参り体調不良から無くなってしまった。
1人孤独になったC君は絶望の中で、街をさまよっていたら廃品回収に出されていた六法全書が捨てられていた。 孤児院に預けられ、育つ中で常にその六法全書を読んでいる中で、自分の父親の様に事業で失敗しても法律で多くの人を救いたい。自分と同じ子どもを作りたくないと、高校生になって、昼間は学校、夜はバイト、バイトから返ってきたら法律の勉強。 友達から遊びに誘われても、バイトのお金は司法試験を取得する為に全額使う為に我慢した。全力で受験したが、1度目の試験は失敗。 しかしC君は諦めない。 絶対に弁護士になる!その固い決意と共に、さらに苦手を克服させていく。
そして見事合格し、弁護士となる。

という物語があった場合、人は入り込む。物語の中へ。

この違いは、みな一様に努力はしているんです。でも物語として、抑揚をつけたのが最後のです。
こうして、誰かに見せる為、人の感情を動かすには努力は効果的です。

24時間テレビで、意味なく マラソンをするのは 努力してる姿を見せて傍観者の感情を動かす為であって、マラソンを走ったからといって、お金が生み出される訳でもなく、目的地に着いたからといって、募金がGETできる訳ではありません。

(*‘ω‘ *)ほらっ!努力してるでしょ! 

というのが24時間テレビのマラソンであり、マラソンである必要はありませんが、24時間の尺を繋ぐには、丁度いいツールなんですね。
あんまりお金かかんないし。


このように、どの立場から、何を見るのか、何を得たいのか、何を与えたいのかによって、頑張る・努力の意味は異なってきます。

ただ、総じて頑張ってみます!! というのは、当たり前の事で、取り立てて強調するような事でも何でもないという点
アドバイスをもらって、頑張ってやってみますは、相手に対して当たり前の礼儀です。

忙しい中、家族の為にと料理を作っても

(‘ω’) あぁ。ええんちゃう。 美味しいやん

とか適当に言われたら、腹立つでしょ?
作ってくれた料理に美味しさや感謝いうのは、家族であっても、子どもであっても当然あってしかるべきやん?

だって、別に母親だからといって、料理を作る担当業務って法律で決まってる訳でもなんでないのだから。
美味しく、栄養を気にかけてくれているというのは、相手の思いやりであって、当たり前のモノではないよね。

努力しようとしたらあかん。
努力しているのが標準なんだわ。

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
INDEX