私は自分自身に縛りをかけて生きています。
『嘘がつけない』という縛りです。
嘘は劇薬ですが、良いタイミングで使うと最高の薬にもなりますが、常用するものではありません。
さて、今回はなぜ私が子どもに信用 という事を教えるのかという点についてまとめます。
私がこれまで、色々な記事を書いてみましたが、書いてる内容ってほとんど変わらないと思うんですね。(アホな内容以外)
全ては1つの原点から出た、表現の仕方、切り口の変え方を変えて書いている事になります。
なので、今回はそれら異なる切り口で表現してきた内容が1つの物事に繋がっているという点。
簡単に言えば、私の頭の中の一部を開示してみようという試みです。
そもそもの背景
さて、私は今でこそ、箕面でパソコンスクールを運営し、のんびり 楽しく、生徒さんとワイワイしながら過ごしていますが、その前のサラリーマン時代は、ハイパーストイックな生活が当たり前で、自らその環境を用意したというのもあります。
ハイパーストイックとはいえ、慣れてきて、ルーティーン化してくると、さらに負荷をかけていきました。
理由は簡単です。私の師匠の言葉がそうだったからです。
(・ω・) 若い時は、苦労は買ってでもする。
(・ω・) 楽な道と、辛い道が分かっているのなら、辛い方を選ぶ
世の中には、様々な賢者の声が満ち溢れています。それは書籍や電子化され、様々な所に転がっています。
言葉は『ヒラメキ』でりますが、ヒラメキを行動に移せる人は、あまりいません。
だから、私は ヒラメキを行動で貫ける人間になろうと思いました。
仕事も、勉強も。 勉強といっても別に資格を取るとかそういう事ではありません。一般的に、人はスキル向上させる場合、縦に伸ばそうとします。が、縦に伸ばす戦略は、その伸ばしているスキルに対して需要が無くなった時、一気に不要になります。 これはマーケティングでも同様です。
そこで、私は縦ではなく、アメーバーのように横に展開し、様々な異ジャンルを統合させる戦略を取りました。
業種がなんでれ、世界がどうであれ、限りなく成長してける。
横展開の弱みは、時代に影響受けるという点がありますが、どう転んでも、時代を無視して生きる事ができない、時代に合わせて生きていかなければならないのなら、逃げより打って出ようという感じです。
縦の高さは専門家には到底叶わないけれど、必要になればアウトソーシングで必要な時だけピンポイントで引っ張ってこればいい。
そして同時に、横に広げながら、可能性のあるもの有用性の高いモノを優先的に縦に伸ばしていくという戦略を取りました。
こうする事で、多様な発想、アイデア、戦略を組むことが当たり前となり
制約、業界常識など、足を引っ張られる事なく、自由な発想ができるようになりました。
業界常識の中に居る人にしてみれば、私の発想や行動は特殊だし、異質に見える事も知っています。
反面、制限があまり無い私からすると、業界常識の世界の人は、狭い水槽の中で泳いでる金魚の様に見えます。
これは、どの仕事、どの職場に居るなどは全く関係ありません。
戦略執行室 室長
様々な戦略実行と提案。 これは仕事の為とか、昇進したいとか、そういう事は全く関係なく、ほぼ趣味で業務内でやることによって
会社にとっては、新たな戦略と問題解決
私にとっては、会社のお金で、会社の様々なネットワークを自由に使って遊ぶ
という関係が成り立ちました。
通勤時間は、世界中の賢者たちの考え方、解決方法、様々なビジネス書籍を読み漁り、毎日、紀伊国屋書店 で新しいネタがないか探しました。
私にとっては、少年漫画を読んでる感覚で、そこで知りえたスキル、人の心を操る術も含め、社内・社外様々な所に使ってスキルを磨くという感じで、日々の業務が、仕事と言われたら仕事ですが、私にとっては、毎日遊びに行ってるという感覚です。
なんだかんだしてると、戦略執行室 室長 というポジションが与えられましたが、私の行動は何も変わりません。
毎日、出社して、毎日 ホテルのビュッフェでランチを2時間堪能し、夕方~夜にかけて、一気にその日のタスクと次につながる様々な情報収集や戦略を組む。
簡単に言えば、私の仕事は 企画営業。つまり仕組みを生み出すのが仕事です。
企画というのは、無から有を生みだしたり、 マイナスをプラスに転換したりします。
既に既存のモノがあって、そのままのルーティーンをこなすという仕事なら戦略性はさほど必要ありません。
また、自分の決済だけで済むなら、自分が責任を取ればいい。で済みます。
しかし、ビジネスとは、相手がいてこそ成立します。
これまで無かったモノを生みだす。 生み出す事が大変ではなく、生み出したものに信用を与える事が難しいのです。
例えば、お金を考えてみてください。
あの諭吉の紙切れは、偽造防止の為に高い技術がなされているかもしれませんが、そんなモノに1万円の価値があるから、1万円として通用している訳ではありません。
紙切れが、外部で1万円分の仕事をしてくれるから、人は紙切れをありがたがるのです。
昔は、金であったり、貝殻であったり、通貨の歴史を見ると、石板だったりなんでもありなんですけども。
お金が世界を回っていると言えば、想像は容易ですが。
実際は、信用が世界を回していると言い換える事ができます。もっと簡単に言えば、人の心、感情が世界を動かしているということです。
パソコンスクールHEARTSの、ハーツの語源はここから私は命名したんです。
通貨偽造は、重犯罪です。通貨の真正に対する公衆の信用 を破綻させる行為だからです。
ここにも書いてるでしょ?『信用』って
お金はとは『信用』を扱いやすい様にする為に、物理的な形にして、やり取りできるようにした信用カプセル という事です。
資格も同じです。 一定のスキルができるという信用を形にしたのが資格です。
さて、少し話を戻します。
企画するモノにとって、全く信用が無いモノを相手に売る。という場合。
そこに相手からの信用を得る必要があります。
相手はまた、実績も無ければ経験もない、新しく生まれたサービスなり、物品を信用しなければならないとりうリスクがあります。
私には、信用にたる根拠がないサービスを提供するのに
相手には、信用を形にしたお金を私に託す。
それはつまり、モノでもサービスでもなく、私自身を信じてくれたという事を意味しています。
それ故に、相手からの期待以上に応えたいという気持ちは、通常の完成品や経験がある物品を売っている営業と違う所です。
ドックイヤー
デジタルの世界は、ドックイヤーと言われ、10年建てば業界の全ての常識が変わると言われる程に、展開が早く、まるで映画を4倍速でも見ているような世界です。
この業界に居る人間は、何もかもが、のんびりできません。 即時決断、即時実行。 迷ってる間があればやれ! というのが普通です。
それ故、普通の人の一生を何度も繰り返すくらいの感覚があります。
今現在、仕事のアシストにAIを使いタスクをこなしています。
私の代わりに、さくっとデータ変換や、分析など雑務をしてくれるのは本当にありがたい( ゚Д゚)!!
AIが変わりに仕事をしてくれる…。これは今後ますます広がるのは当然です。
昔、ワープロ全盛期の時代がありました。 富士通も文豪miniとか ワープロこそが世界! というのは、世界中のメーカーが口を揃えて行っていましたが、今や、windowsの中の1つの機能程度です。
ワープロ専用機など、骨とう品でしかありません。
インターネットもそうです。
AIによって、ホワイトワーカーの仕事は、どんどん減っていきます。
今後、必要となるのは、人間が人間をフォローする仕事が中心となります。 例えば医療系。
なので、就職に迷う女子から話を聞いたら、( ゚Д゚)とりま、看護師免許取っとけ! と断言するのはそういう事です。
- 人が存在する限り、健康状態というのから避けられない。普遍的な市場
- 世の中は不健康になるような仕組みがあるから、健康において市場が縮小する事はありえない。
- 人は誰もが健康状態でありたいというニーズが消える事が無い
というマーケッターとしての助言です。
もし、私が女性だったら、確実に看護師免許取ってます。 で、免許の有用性を武器に絶対ビジネス起こしてるタイプ(*‘∀‘)
このように、時代と環境によって求められる事は異なります。
では、これからはどうでしょうか?
モノ不足の時代であれば、縦に伸びるという戦略は非常に有用でした。
より高い品質、より安価なもの。その商品やサービスにおいて、そのものの機能を向上させる事で売れました。
しかし、モノ余りの時代にあって、必要なのは、創造性です。
無から有を生み出すことが限りなく求められる時代に来ました。
雑務はAIがやる。 人間はAIができない創造を担当すればいい。AIができない、身体を動かす事をすればいいと割り振った動きになります。
その為、これからの世界において、創造性の欠落、トライ&エラーできないタイプの人は、確実に生きにくい時代となります。
そして、先ほど書いたように、創造そのものは大して難しい事ではないのです。
創造に信用を与えるというプロセスが絶対に必要です。 趣味じゃない限り。お金になりませんから。
お金にならない創造をしても、それはただの妄想です。
そして相手の信用(又はお金)を得る為には、相手の不安を解決できる提案、話術、信用の価値を理解しなければなりません。
私が子どもに教えるというのは、子ども用語を使って、たのちぃでちゅねぇ(*‘∀‘) と子ども用語で話す事ではありません。
子どもの20年後の世界を想定して話しています。
それ故に、20年後の子ども、つまり成人であるという想定をして会話します。
でも、子どもなんだから、という人もいるかもしれません。
それは、子どもをバカにしています。 子どもは考えます。大人以上に、少ない知識量の中でも、演算回数は大人よりはるかに高い。
色々な経験や知識を持ちながら、動かない大人よりも遥かに有能です。
目標設定という程、大げさなモノでなくとも、どこかに行きたいというのならゴール地点が必要であり、車のナビでもそうですが、ゴールから今現在を算出するように、思いを形にするのは、今現段階から、ゴール地点を見るのではなく、ゴール地点から、今を見る必要があります。
そもそも知識に年齢制限など一切ありません。
●年生だから、ここまでというのは、 The 昭和の 時代錯誤な教育です。 まさに水槽に入った金魚です。
これからの世界を生きる子どもたちに、金魚の脳みそで考えるレベルを教えて良いのなら、金魚に教育を託せばいい。
私は、 金魚な人の教育者の話を聞いてて思うのです。
それだけこだわられるのなら、あなたのお子さんは、そら優秀で、有能で、大人になって、多くの人を助け、自身も幸せに暮らしているという お子さんの実績があって喋ってるんですか?と
営業上がりの私は、結果こそが全て。 それ故に、結果を出してない論理など妄言と同じだという認識があります。
私は、嫌がおうなく、広い世界に出される子ども達に、もっと広い世界で頭を使い、展開できるようにしてあげたい。今その為の
- 自由な発想
- 発想を形にできるスキル
- トライ&エラー
- 信頼の意味
を小さい時に教える事が重要なのではないのかなと思っています。
それの意味が分かったら、勉強しないさいなんて言う必要ないのだから。
という意味で、子どもに世界基準を触れさせる為の1ツールとして英語を教えるのかな?と思ったら、学校のテスト対策の為ってばかり聞くから、そうでもないんだなって思った。