HEARTSにくるちびっ子姉妹が好きな シャーロックホームズとか、コナンとか…。
( ゚Д゚) オッサン コナンとか 知らんねん。
私が子どもの時に見ていた、シャーロックホームズと言ったらこれだな
宮崎駿が監督しているだけあって、 犬でも 女性の顔がナウシカ顔です。
大人の今、改めて見ると、クォリティー高っ! というのが凄く感じます。
絵のクォリティーがとかというのは時代の技術ももありますが、創造性のクォリティが凄いんです。
今、この創造性のクォリティで作れるって無いと思います。 この時代の技術力の中でそれを補う事、そして細部の創造性がすごい。音楽の質も。
小公女セーラとか、若草物語とか、そういうのを見て育ってる世代としては、良い時代だったと思います。
宮崎駿はアニメルパンの監督もしているので、アニメ ルパンと同じような構図だし、 崖から落ちそうになっても、平泳ぎしたら何とか向こう側へたどり着くというのは共通だね(*‘∀‘)
さて、朝から選挙活動がえぐいので、(ヽ´д`)グッタリ…です。
そんな選挙活動を見ていて頭によぎる『無知は罪』という言葉が…。
なので、仕事前にちょっとブログる
『無知は罪』という言葉は、ソクラテスの言葉ですが、この言葉をそのまま聞くと、知らない事が犯罪者なのか?と考える人もいるかもしれません。
言葉尻しか捉えられないという点で、既に無知さが表れているので、無知は、さらなる無知を誘発します。
では、言葉尻通りに取ったとして、別の言い方で例えてみます。
車の運転がデキない人(無免許)が、車に乗り、人とぶつかり相手を死なせてしまった場合
運転者は運転に関する知識が無かったからですが、この場合、誰が罪を負いますか?
当然、知識無く運転した人が罰せられます。
包丁の使い方を知らない人が、相手を刺して、死なせてしまった場合
本人は、刃物を人に指したら死ぬという事を知らなかったから、刺してみたと言っています。
誰が罪を負いますか? 当然、刺した人が罰せられます。
街の周りには壁があり、昔から壁の向こうは腐敗した世界だと教えられ壁の向こうへ行くことは禁止されていました。
しかし昔からの言い伝えで、誰も壁の外の本当の世界を知りませんでした。
本当は、緑豊かな美しい自然が広がっているのに。
自分で獲得していない知識を人に与え、相手の人生を狂わせるとしたらどうですか?
間違った知識の継承。これも罪深いものです。
車や包丁と同じ様に、無知とは人を殺める道具の1つです。
大げさだと思いますか?
では医療ではどうでしょうか?
もし、担当医が知識不足で対応した場合、患者の命を奪う事になります。
それでも『無知とは人を殺める道具の1つ』という意味が分かりませんか?
無知とは決して推奨されるものではありませんが、人は無知の状態でこの世に生まれてきます。
無知がスタート地点であり、そして生涯を知恵の為に時間を捧げたとしても、やはり人の知恵、全体の中で言えばわずかであり、どこまで行っても無知であり続けます。
私とて、このような事を書いているからといって、知恵を持ってる訳でもなんでもありません。
愚かで、無知な人間の一人だと認識しています。
でも、バカは良いモノです。 伸びしろがありますから、まだ成長していけるという希望があります。
しかし、多くの場合、無知を純粋に恥ずべきモノとして、自らの無知さを隠そうとし、また無知である自覚すらなく、無責任な発言を繰り返し、そして結果を隠蔽し、さらに状況を悪化させるという事が、どこの組織にでもあるんのです。
隠蔽体質という事ですね。
これを社会的などこかの組織だけに限りません、最小単位の組織は家族です。
だから当然に家族内でも起こりえます。子どもに好きなことだけさせればいいと考える親も、最低限の知識すら持たない無知な人間を大量に生み出しています。結果的に罪と同じと言えます。
そもそも、この世界の仕組みも教えてない状態の人間に大人でもそうですが、ナビも地図も持たせない、目隠ししている状態で、さぁ!歩いて好きな所に行け! でも望むなら東京まで行って欲しい! 見守ってるけども。 それで望んだ場所に行ける方が確率的に圧倒的に低いと言えます。それは見守っている訳でもなく、ただ傍観してるだけです。
これが、子どもに好きな事だけさせる教育の実態です。
さて、選挙活動を見ていて、これだけ言った事カタチにならないというのを、何年も何十年も、何百回も体験しているのにも関わらず、なぜにそこに希望が見いだせるのかが理解がデキない所です。
こうして外から聞こえてくる音を聞いていると、ただひたすら、名前だけを連呼していたり、緑豊かなとか、子ども達に正しい歴史の教育を…。
色んな内容を言っています。
教育って、文科省が全国一律で管理しており、学習指導要領がガイドラインが決められ、実際の管理は大阪だと、府教委が管轄している訳で
箕面市がデキる事はせいぜい、教科書の選定位なモノで、現場の教師、特に社会においては担当教員の 価値観が思いっきり乗ってくるから、そんなのを街宣車で大声で言っても無理だぜ? とは思うのです。
選挙とは、環境問題やクジラ問題と同じで、それそのものが問題を解決するのではなく、問題でないことを、あえて問題定義し社会を不安にさせて利益を得るという仕組みで成り立っています。
また、ことあるごとに『予算=行動力』と直結している傾向にあり、これはその現場で働く人共通なんですが、何かをしようと思ったらすぐに予算の話が出てきます。
予算編成は大事ですが、そもそも予算無くても問題解決はデキます。
なのに、頭から予算が・・というから、問題解決すらしようとしない、柔軟に考えられない。
無知だから考える知識がない。
知識がないから分からモノに対して臆病になり、自ら恐怖を生み出す。
その恐怖と向き合いたくないから、生まれる前に潰してしまう。つまり規制する。
だから、無知な人間が政治をすると、可能性を広げるよりも、規制ばかり作って可能性をとことん潰していくというループが発生します。
例えば、このような感じで
https://www.yomiuri.co.jp/politics/20240802-OYT1T50142
知恵は可能性です。
それは別の言い方をすれば、知恵は勇気ともいえます。 可能性を見出し行動に移させることなのだから。
無知が人の上に立てば、人を殺す。
無知が国を管理すれば、国を亡ぼす。
民が無知なら、無知な管理者を無知であるという事すら認識できない。
そして最初に言った様に、無知は、さらなる無知を誘発します。