ライブ講座の方向性
こんにちわ。 HEARTSの夜に行う 授業が終わってから行うライブ授業の仕組みをZOOMを使おうかと思ってましたが、私が皆さんのPCをリモートで操作する Team Viewerでも同じ機能があるのを知り、既にビジネスプランを契約しているHEARTSは使えるのでこれ使っていきます。
ただし、時間制限が無い変わりに、最大人数の制限があるので、暫くこれでします。
ライブ講座は、本科生の生徒さんを対象とします。
各回の講座で参加頂行けるのは最大9名です。 事前にLINEにてご予約下さい。
今、作りかけてるのここまでいった(*‘∀‘)
コツコツ準備中です
ちょっと待って!
『ちょっと待って』私は使わない言葉なのだけど、幼稚園などでちびっ子と接していると、決断を遅らせる用語を言ってくる言葉をよく聞く
このちょっと待っては私は基本的に聞かない。
だから、ちょっと待ってって言われたら
(*’ω’*)ちょっと待たない。 5・4・3・2・1 バイバーイ と扉を閉める。
(; ・`д・´) 酷い!
そう。一見酷い様に感じるかもしれない。
これは、私がサービス業として相手に接しているのではなく、教育者として接しているからが理由というのもあります。
とはいえ、今の教育スタイルが、もうこんな感じ。
(‘ω’)ノ ふざけてんのかな?
って事が多い。 何というか、大人のおもちゃになってるような感じ。
例えば、子どもが言う『ちょっとまって』という言葉を今の教育業界のトレンド合わせるとこうなる。
(‘ω’)ノ 子どものペースに合わせようね!
(‘ω’)ノ 自分で考えたいのかもしれない!納得できる時間を与えよう!
(‘ω’)ノ 共感大事! 一緒に考えよう!
これが通用するのは、公立の義務教育範囲なら通用する。
この回答を私流で返すとこうなる。
(‘ω’)ノ 子どものペースに合わせようね!
早い方に合わせてこそ限界を超えられるねん。
遅い方に合わせてどうするねん
(‘ω’)ノ 自分で考えたいのかもしれない!納得できる時間を与えよう!
働いてないねん。考える時間なんて、山ほどある。
考える時間を与えた結果どう? ゲームする時間に変わるだけやろ?
時間はな、与えられるモノじゃないねん。自分で掴むものや。
そうやって甘やかすから腐るねん。
(‘ω’)ノ 共感大事! 一緒に考えよう!
そういうのは、井戸端会議でやってくれ。
思考は、一人でやるもんや。 一人でやって、やりきって、もう自分の持ってる知識の限界の壁にたどり着いた時に、外部の意見で、パっと変わる瞬間があるねん。
自分で考えもしないで、一緒にとかやっとったら自分で考えんようなるだけやん。
という感じで、生活の色んな所に発生するイベント、いわゆるチャンスを総なめで潰しにかかっていく、今の教育事情と私と相性が悪い
私の考え方は、ずっと変わらない。 政治家の様に選挙前だけ切り替わるような、糞思想ではない。
教育って、将来を考えてやるものであって、大人になった時に飛躍するための『人的投資』であり、個々の幸福度を向上させるためにも必須の事であり、最もハイリターン・ローリスクである という信念があるから、良いモノを良いって言いたいから、やってるのであって、教育というものが、ただの消費サービスレベルなのであれば、こんなみんなが嫌がる、嫌われる仕事なんて絶対やらないよ。 アホくさいじゃん。
塾みたいに夏期講習で 15万払って、ただ受講させてると言う高利益率の高い教育ビジネスだったら、やる価値あるよ。ビジネスとしてね。
そうじゃない教育をしてる人なんて、みんなもうボランティア精神でやってるようなもんだよ。
HEARTSなんて、ボランティア精神以外無いよ( *・з・).*;’.、ブッ 自分で言うけど。
そんな、人的リソースを高めるための教育機関
あかん。大のエヴァ好きがバレてしまう。
っていうか!! こんな情報が!!
(; ・`д・´) 天竜浜名湖鉄道 ってどこやねん!
9月30日までコラボだと!! 絶対行くやんけ!!
(;´Д`) 行くやんけぇぇ!!
(*´ω`) ヤバいやん。浜松おいぃぃ!
ってか!今日行けば良かった!!
https://akadencollabo.tenhama.co.jp
(; ・`д・´) あかん… エヴァマニアの私…。理性失う。
もう、そのまま箱根まで、日帰りで行ってこよかな…。
いや焦るな。とりあえず、静岡 行ってくるわ。
(*‘∀‘) すまない…。 私としたことが、エヴァンゲリオンで我を見失った。
という事で、ちょっと気持ちを入れ替えて、私が子どもの『ちょっと待って!』を無視する理由を書く
1つ目の理由:自分中心に世の中回ってる訳じゃない
単純に(‘ω’)ノ お前中心に世の中回ってるんじゃねぇ という理由。
人を待たせるというのは、その人の全スケジュールと行動を待たせることになる。
相手のやれなかったという機会損失を補うほどの価値のある、待って! という事なら待つ。
周りの行動を止めるというのは、遅刻と同じだ。
ちょっと待ってが許されるなら、遅刻も許してやれ。
じゃ無いと言ってることがめちゃくちゃだ。
大抵は、生産性の無い事で、自分都合での待ってだ。
逆に、人が重要案件でコミュニケーションをとっている時に、自分が暇という理由で、早く行こうよぉ!というのも無視する。
大人からしたら、子どもというのは保護対象だ。だから無碍にデキない。
単純に保護対象が居なければ、大人は自由に動ける。 常に保護を考えて動くと当然ながら動くに動けないという制約を常に追う。
なのに、保護対象が好き勝手に
と暴走されては、守るモノも守れない。 小さかろうが己の立場を理解させるのは、生存確率を上げる上で当然だ。
保護さえれているという、最低限度の理解も出来ないなら、真夜中の六甲山でも置いてこればいい。1発で目が覚める。結局の所、待つという能力が無いのではない、ただの甘えだ。
2つ目の理由:決断力の無さ
『ちょっと待って』という人間は、ずっと言い続ける。
子どもから、大人になっても。
大人になっても、まだ自分の為に、誰かが待ってくれてると思ってる。
( ˘•ω•˘ ) 甘えんな!
子どもだから周りは相手にしてるだけで、社会に出て、一人の大人の行動なんて誰も見ても聞いても無い。
まだ、世間や周りが自分を見てくれてると思ってる。
決断は一瞬だ。 決断するってことは、リスクを取るってことだ。
決断というのは、来たその瞬間に行わないといけない。
失敗するかもしれない。
でも瞬時に複数の可能性の確率を算出して決断して行動に移る。
この一瞬。命の危機の場合は本当に走馬灯が走る位、時間がスローモーションになる程に人の処理能力は向上する。
火事場のバカ時からの様に
そうでなくとも、その決断を迫られた一瞬の時間の中で
- 判断による機会損失 やらない事での損失具合
- 決断後の行動を行える可能性となる自信の評価
- 失敗した場合の責任の有無とその範囲。その責任のリカバーの時間と労力
- トータルのリスク評価
等々…。
こういう事への対応。 それが生活の中の色んな所にある。
その色んな事が体験できる日常で、『ちょっと待つ』という行動が、相手への成長の機会を潰す。
目の前に、もし自分の死を意識しないといけない瞬間が迫っても決断が下せない。
ヘッドライトに当てられた鹿の様に、止まる事しかできない
それで生存確率上げれるんかって話。
だから、私は待たない。 自分の為に、周りが右往左往すると思わない。
周りが動いてくれないから、自分で何とかしないといけない。
でも、自分の努力ではどうにもならない時がある。
どれだけ知識や技術を駆使しても、人に助けを求めないといけない時がくる。
その時になって初めて『助けて下さい!』と心からの感謝を込めたヘルプが出せる。
大人とちがって、子どもの場合は自分が陥った時にこそ、こういう教育が出来る。 だから成長の機会を奪ってはいけない。
ちなみに、高速で思考するよりもっと正確に行動する方法がある。それは思考のステップをすっ飛ばして行動する。 つまり身体が勝手に反応するという身体に覚えさせるというのがある。私は極力これを使う。身体に叩き込む為に何度も繰り返して習得する。
教育の質の問題
公立の小学校・中学校は、勿論質を上げたいけど、上げれないという呪縛がある。
ある意味で、公立縛りであって、学校の先生の質が悪いという事ではない。
でも、ある程度の遅い方に合わせるのが公立の義務教育だ。公の学校だから。
それが嫌で教室の質を上げたい、早い方に合わせるのが私立や高校アッパーの教育だ
能力の高いのに合わせるのが、会社という営利団体だ。
区分される事は秩序を保ちクォリティーを保つ為には必要な事。
それを、多様化といって、何でもかんでも、ちゃんぽんの様にまぜこぜにしてしまえば、当然に質が下がる。
例えば、ドレスコードがあるようなレストランに、 ドレスコードの意味も分からない人間が混在したら当然に質が下がる。
それを強制的にねじ込もうとするのが、今の多様化というやり方。
ちょっと待つ…というのは、この質の低い方に合わせるという事になる。
能力の高い方の基準に合わせる、そこに行きつくように努力する。
だから、成長するのに、レベルを低い方に合わせてしまっては、品質が低くなる。
これがサービス業なら、合わせるけど、教育者だから合わせないという理由。
そして、これが相手が学生だから尚のこと質を考える。
それは、未来を考えての私の判断です。
私はいつも、子ども達の20年後を想定して…というのを言うのだけど
20年後って労働の自由化がさらに加速してると思うのね。
今でもほら、副業とかなったでしょ?終身雇用だって、つい数年前まで常識として言ってたんだよ。
自民党が与党である限り、基本的にバックには企業がついてる。だから、企業献金を廃止なんてやったら、とんでもない事になるわけ。
そして企業としても、人を雇うっていうのが辛いわけ、だから、必要な時に雇い、不要になったら外したいというのが本音。
そして非正規雇用が増えた訳、そして不景気になって、出生率はさらに加速度的に低下したね。
そして、こども庁とか謎の組織が誕生したね。税金を使う建前を増やすために。
雇用は法律上、従業員は凄く保護されてる。
不動産で言う借家人の様に、フェアじゃないっていう位保護される。
パワハラ・育休・福利厚生…まさに腫物の様に扱う事になってる。
企業としては使いたくない、人間というリソースをを。だから機械化・IT化、AIへと進んでいく。
こうなってくると、人は副業や起業する人が増えてくる。
私が、商業の教員免許を取得する理由がこれ。
周りからは、商業なんて需要あるん? って言われるけど。 今現在の日本を見てる訳じゃない。 5年10年後以降の世界を想定してるからです。
ビジネスと情報を扱える事が絶対に求められる。
自分でビジネスを生み出す事が必要になってくる。
技術や理論だけでなくメンタルが。
その時に『ちょっと待って』で育った子は、申し訳ないけど、もうセンスは無い。
一生一人で待ってろ。と言う事になる。
なぜなら、ビジネスの世界では、誰も一切待たない。
個人じゃなくても、チームでビジネスをする場合、イニシアティブをとって、リーダーとなった場合、リーダーは不確実な状況でも決断を下す必要がある。
もし「ちょっと待って」が頻繁に許容されると、子どもはリスクを恐れ、安全な選択肢に固執する傾向が強くなる。
挑戦する勇気やリスクを取る姿勢が育たず、リーダーとしての大胆な決断力が欠ける要因なる。
たった一言『ちょっと待って』だけど、子どもの発する言葉の1つ1つには理由があり、その言葉の将来の影響というのは結構大きい。
という事で、エヴァ(‘ω’)ノ
ヱヴァ!! (*‘∀‘)
これは私が勝手に再現したエヴァっぽいのです