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不幸になる人の法則

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不幸になる人の法則

幸せか、不幸か。それ自体はその人の主観的な目線で決まるものだから、一概にこのラインから幸せだという事は定義できません。
地震や天災、事故などに巻き込まれるような、本人の努力や習慣でどうにもならないモノもあります。
それでも、少なくともその本人の主観からしても、明らかに不幸を自ら招きいれている人というのが居ます。
そして、そういう人に限って、幸せになろうと、人一倍機敏になっている性格なのが特徴です。

で、そのような人の共通点というのは何だと思いますか?

それは次の言葉をキーワードにする事ができると私は考えています。

『外部』
『比較』
『意味づけ』
『正解』

では、その理由を説明しましょう。

外部

不幸になる。自ら不幸せを自らで取り込む人。私には、自ら不幸を掃除機の様に吸い込んでるようにしか見えない人の行動
それは、幸せの定義を外部に持っている事です。

例えば

  • 認められたら幸せ
  • お金が増えたら幸せ
  • 誰かが変わってくれたら幸せ

幸せの定義が、全て外部的要素になっている事です。
そういう人と話していると、面白い程これです。

別に他人に認められなくても良いじゃないですか。 認められる為だけに行動してるんですか?
お金が増えたらいいけど、無ければ無いなりに生活スタイルを変えたら良いじゃないですか。人を動かす力がお金なのなら、自分が動けば良いじゃないですか。
他人は、あなたの奴隷じゃありません。 あなたの都合で周りの人が動いてくれるなんて事はありません。
自分が世界の中心だと思うのなら、世界の中心であり続けるほどの、想像を絶するお金を使って世界の中心になってください。資本主義ですから可能です。

こうして、幸せのスイッチを常に自分の外側に置いているのが特徴です。
しかし、環境は常に動き続けます。 だからこういう人達にとって、最も恐ろしいのは自分の常識が通用しない状態に変化する事です。
そしてそれは言葉でも出てきます。

私の時代ではそうでは無かった… とか
私の為に、こうしてくれ… とか

変化が恐ろしい。 という気持ちの弱者でもあります。
弱者の特徴は、些細な事でも敏感に反応するのが特徴です。 何より自分の身を守らないといけませんから。

となると、結果的にこういう反応が引き出されます。

  • 失敗しないように
  • 嫌われないように
  • 損をしないように

誰だって好き好んで、失敗もしたくないし、嫌われたい訳ではないですが
不幸を吸い込む人は、結果的にこういう側面が、様々な部分で非常に色濃くでます。面白い程に。

こうした異常なほどに、回避思考と回避行動をとる人は、普通よりも幸せを望んでいながら、不幸を取り込むという循環を自らで回しています。
これが、面白い事に自分では全く気付いてないし、見えてない点であって、何故にこれほど人は自分自身を客観的に捉えられないのかという良いサンプルでもあります。

比較

外部に幸せの定義を持つ その最たる所は、人との比較です。

  • あの人はうまくいっている
  • 自分は遅れている
  • 普通じゃない

人だけでなく、あらゆる物質は、比較を持って自分が何者かを知る、又は定義する事ができます。
これは神とて例外ではありません。 

そもそも、自分というモノに、上も下も無いのです。
何の定義を当てる必要もない、真っ白な状態。
しかし、これだと人は不安になるし、自分自身が客観的に見る事も出来ない。
自分が何者かを知るためには、外部の目が必要です。

だから真っ白の世界に、適当な黒い点を書きました。 
そしたら、その点よりも、上に居ると安心して、下にいると不安になるという生き物です。

でも、これで、上と下という概念が生まれます。
こうして比較の連鎖が生まれます。 
いつしか、本来比較などする必要などなかったという記憶までなくしてしまい
平均はどこか、みんなはどうか という考え方が定着します。

これは島国の文化で、コミュニティから追い出されたら生きていけない日本人とっては非常に馴染み深い考え方です。

比較を否定している訳ではありません。
比較は客観視し、そこから成長するには大切な材料です。
私も他人様と比較して、クズだと思えるから、頑張れる訳です。

しかし、これが単純な自己否定と組み合わされば不幸を吸い込むバキューム力を大きく引き上げます。

意味づけ

先ほど

変化が恐ろしい。 という気持ちの弱者でもあります。
弱者の特徴は、些細な事でも敏感に反応するのが特徴です。 何より自分の身を守らないといけませんから。

と書きました。 これに連動する所になります。

占いを信じる人は、今日の星座のランキングが低いと、その日に起こった悪い事は
そうだ!占いでそういわれていたモノ…と考えがちです。

(‘ω’)ノんな訳ないやろ

物事が起こるのは、偶然・確率・タイミングです。
過去の歴史から規則性を追うが出来るモノあります。 
その環境で生み出される現象などなど、ある程度の再現性はありながらも、そこには演算しきれないの程の定数が存在し、その全てを計算しきるのは、あらゆるスーパーコンピューターを使っても演算しきれません。

皆さんがこうして、今普通に生きている事だって本来は、色々な確率から外れてるから生きているのであって、1kmサイズの隕石落ちたらそれでアウトだし
遥かかなたの何万光年離れた星の大爆発で最強の放射線がもし地球に向いたら、それで当たった場所の生き物はみんな電子レンジで焼かれたみたいに破裂するでしょう。太陽の爆発の仕方1つ少し変わっただけで、生活が破綻する位、結構 キワッキワの状態で今生活しているという事です。

もし、おとめ座の人が人類で最高に不幸なんだったら、たぶん 全星座の人も最高に不幸ですよ(笑)

占いというのは、その言葉に責任を持たないから何とでもいえるんです。
もし、言った事を保証しなければならない。
つまり、普通の商売の様に、発言した、これは民法上有効な契約になる訳ですから、その場で契約書を書かせるような事になったら、当然の商売は成り立ちません。
つまりその程度の言葉という事です。 

(‘ω’)ノ気をつけなあかんで。しらんけど!

という事ですね。

とどのつまり、考えすぎるなという事です。
何かに意味づけした所で意味の無い事です。 
これは数学の世界でもありますが、その数式を使う事で、ただその数式の存在価値を示してるだけで、実際なんの問題も解決していないというようなことがあります。循環論法ですね。

答えなど求めた所で出てこないのに、納得する為に意味づけを行おうとする。
何故 自分ばかりがこうなのか。 何かの罰なのか。

そうして考える事は悪い事ではないですが、考えた所で、結局深い推察にすらいかず
『なぜなのか』をずっと繰り返して、何か意味不明な不安を自らで生み続ける

そんなに思うなら考え切ってしまえば、それが意味の無い事だと理解できるのに、そこまでは考えない。
何がしたいんだろうか…。と思えてしまう。

でも、分からなくも無いのです。
だって、これまで 幸せの定義を他人に委ねてきた人間が考えた所で答えなど出るはずものないもの。

怖くても、一歩踏み出したモノでしか見えない
悪夢の中をずっと彷徨ってる。

正解

幸せか不幸かは、本人の客観性によって決まる様に
正解と不正解も絶対値としては存在しない。 誰がみてもこれが正解なんてものは存在しないという事です。

ある人にとっての正しさは、ある人にとっては不正かもしれない。

私は授業でも、プライベートでも、これが正解とか、これが正しいという言葉は、基本的に出てきません。
私の中に、正しさなんてものが無いからです。 
だから、生徒さんと話す時は『あなたは何がしたいの?』という問いに対してしたい事の最短ルートを提案しているだけで、この判断こそが正義です というような事は言いません。 

正しさは人の数だけ存在する。
しかしそれでは社会秩序が保てない。

だから昔の王権主義や封建主義なら、今の独裁国家みたいに一人の価値観を全員に統一させる。というやり方もあったけど
今は、多くの国では、民主主義を導入しているから、民の主張が通る。
正義とは、民衆の数が多い考え方が基本になる。

しかし、これもまた本来の正義ではない。
なぜなら、集団としての民衆は、しばしば愚かで感情的であり、容易に暴走するもの。

多数決によって選ばれたものが、そのまま真理であるとは限らない。

つまり、
真理=正義
ではない

民主主義において優先されやすいのは、「声が大きいもの」「数を集めたもの」「感情を優先するもの」「短期的な利益を追求するもの」
これこそが、民主主義の構造的な本質でもある。

だから、民主主義が生み出す「正義」とは、本来それ自体に絶対的な価値があるものではない。
ただし、それは社会秩序の基盤として機能しているため、無視できない程度の力を持っているに過ぎない。

そして何より重要なのは、
その「正義」と、
自分が幸せかどうかは、まったく別の問題だということ。

自分に都合の良い正しさを探したって意味無いよ?

外部の世界にある、人の生み出した 正義は、社会秩序を保つための「運用ルール」という以外に意味のないもの。
それは、守るべきであっても、信じるモノでも、期待を込める様なものでもない。
でも、生まれた時から、正義のヒーローとか、そんなアニメ見て育ったし、周りの大人もそういって育てたんだから仕方ないよね。

幸せとは、自分が引き受けた選択の総和による。
正しいかどうかではなく、自分の意思で選べたかどうかによる

多数決かどうかではなく、自分が納得できたかによる。

でも、学校は 何でも多数決で決めるもんね。
勿論、社会を学ばせる教育的意義があってのことだろう?とは思いたい所だけど
ここまでの事を考えているのかも疑問を感じるのも事実。
数に従え、それは思考する民主主義ではなく、従う民主主義を教育しているように感じる。
可愛くいえば、多数決ごっこだね。

そんな中で、逆に真面目に過ごしてると、本当に大切なモノを見失って大人になってしまう。

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