学校でも家でも大人が教えない本当の進路|人生戦略

今、冬季オリンピックしていますね。 
教育現場の近くにいると、スポーツ推薦の高校生などを見る事があります。
そこで、体育教員が生徒にいっていたアドバイスがあまりに衝撃的だったのを思い出し、この記事を書く事にしました。

INDEX

今、親が一番見えていないもの

親というのは、我が子が、何かに熱心に夢中になっている姿というのは胸熱です。
その行為に意味が無い…そんな事を思っている人間の私ですら、やっぱり我が子となると理性を失うモノです。

デキない事に向かって立ち向かっていく姿。 悔しくて泣いたり、それでも諦めない姿は、他人であっても応援したくなります。
それが、我が子となれば、その想いは、何倍にもなって感動という形で返ってくるかもしれません。

だからこそ「この子はちゃんと努力できる子だ」「何かをやり遂げられる力がある」そう思えることは、親として大きな安心に繋がります。
そして応援したくもなる。できる限りのサポートをしたくなる。

そう、その気持ちは十二分にわかりますが、でも、その“安心”は、本当に将来への安心でしょうか。
少し冷静に考えてみてください。その安心は、何の安心なんですか? 

今、学校や部活で評価されているものと、社会に出た後で評価されるものは、まったく別の軸で動いているという事実です。

大会で結果を出すこと。レギュラーになること。推薦を取ること。それは、その学校の中、あるいは、そのゲーム内で通用する
ルールの中での価値です。社会に出た瞬間、ルールは一変します。

日本の1万円札を、そのままアメリカのスーパーでは使えません。
日本の1万円札は価値を失います。価値の低い50ドル札の方が圧倒的に価値を持ちます。
ルールが変わったからです。

このルールが変わるという事を、殆どの場合において、運動系の生徒。つまりプレイヤー(学生)に全く教えずに、周りの大人がただ今のプレイをさせているという現実です。社会に出た瞬間そこでは、「どれだけ走れたか」ではなく、「どれだけ稼げる価値を生み出せるか」が問われます。
このギャップを、親も子も、具体的に想像する機会がほとんどないのです。

また、子育てという観点から見た場合、圧倒的に母親の影響を受けます。
そもそも能力的な点でいえば、母親のDNAから知能を子どもは受け継ぎます。ちなみに苦手な事は父親から引き継ぐ傾向にあります。
そして生まれてからも、母親と一緒に過ごす時間が圧倒的です。 

では、母親は子どもに対してどの様に思うのか。これは父親とは違った心理状態であるのは当然です。
そもそも、母性愛というのが強い様に、子どもを育むという特性は圧倒的に女性の方が強い傾向にあります。
その結果、子どもが頑張っている姿を見ると「邪魔をしてはいけない」「夢を壊すようなことは言えない」という気持ちが強くモノです。
「その先どうするの?考えてるの?」なんて声を掛けようものなら、反発するのも分かっているので見守るという事に徹しがちです。

これが男だと、センスが無いならやめたら良い。 可能性があるのなら、伸ばせば良い。 という結果を主体とした判断になります。
そこに過去にどうであり、今どう思ってるというのはあまり影響ありません。そういう点で損切がスパッとできる特長があります。
伸びる可能性があるのなら、そこにbetする! 単純にそれです。 
でも、これが娘となると (ヽ´д`)… こうなるのが父親というのもあります。 

こうして、周りの子育てしている母親を見ると、同じ様に頑張っている我が子の姿を応援しており、また子どもの成績の比較が自分の子育ての成績であるかのように、誤った判断をしてしまう為に、これで間違いない。とりあえず応援する事が大事!と思いがちです。

けれども、私はそうした惰性の考え方、周りがそうだからという理由で、理由も無く流されるという事に、そんな他人の動き、他人の行動に何も考えずに乗って。
本当に良いの?本当に後で後悔しない? 時間が巻き戻せない様に、子育てって、リトライできないよ? と思うのです。
だからこそ、一度 客観視してください。 後で後悔しない為に。 子どもも親も納得する為に。それこそが本当の自由です。

“今、頑張っていること” と “将来、食べていけること”は、イコールではありません。
それがイコールなら、何と楽なんでしょうか。 しかし残念ながら、頑張ったというのはただのアクセルでしかありません。
一生懸命であることは尊い。努力できることも素晴らしい。しかし、努力の方向が市場とズレていれば、どれだけ頑張っても、収入や安定には直結しない。
それが資本主義の現実です。

(;´・ω・) 辛い!無駄な事したい!! 私の本音はこうですが。それを許してくれないのが資本主義です。
だから見つめていくしかありません。

世界を全く知らない子どもが描く夢や友達が行くからというなれ合いで自分の人生を選択するのではなく
進路とは『人生の戦略ロードマップ』です。
しかし、その進路を担当する大人があまりに世界を知らな過ぎる。
世界を知らない人間が描く世界地図を持って現実の世界に出る。
こんなリスクの高い生き方ある? という事で論理的に進めていきます。

今回はスポーツ系。 スポーツ推薦等の学生のその後について、色々な側面から考えていきます。

スポーツ推薦という制度のリアル

なぜ学校は“競技力”で生徒を集めるのか。 一見して学業と全く関係のない、運動で推薦される。
その理屈を改めて分解します。

もし、スポーツもできて、学力も高い子がいたらどうなるでしょうか。多くの場合、その子は一般受験でより偏差値の高い学校を目指します。学業で勝負できるなら、わざわざスポーツ推薦を使う必要はないからです。つまり、スポーツ推薦という制度には、構造的な前提があります。

「競技力は高いが、学業での勝負は難しい子」が一定数集まる、という前提です。
これは能力の優劣の話ではありません。勿論、持ち合わせの身体能力や、幼少期の時から何をやってたかも含めてですが、前提としては単純に“時間配分”の話です。

部活動に毎日何時間も費やせば、その分、勉強時間は削られます。遠征、合宿、試合。帰宅は夜遅く、疲労困憊。
その生活を続けながら、一般受験トップ層と同じ土俵で戦うのは、現実的には非常に難しいのが現実です。
だからこそ「スポーツ推薦」というルートが昔からあるのです。
では、高校や大学は、なぜその枠を設けるのでしょうか。ここには学校側の“経営的なリアル”があります。

スポーツは、集客力を持っています。
特に少子化が進む今、学校にとって「生徒数を確保すること」は、理想論ではなく経営問題です。

少し極端な例えをしてみましょう。ラーメン屋を想像してください。
飲食店の利益を左右するのは、原価率も大切ですが、圧倒的に重要なのは“回転数”です。
どれだけ短時間でお客様が入れ替わるか。食べて、出て、また次のお客様が入る。この循環こそが収益の生命線です。

しかし、学校はそうはいきません。一度入学したら、基本的には3年間在籍します。途中で「次のお客様どうぞ」というわけにはいかない。
学校は、いわば「3年間固定のコース料理」です。焼肉食べ放題の2時間コースのように、時間は最初から決まっている。途中で回転させることはできない。

となると、学校が取れる戦略は一つです。「席数を増やす」こと。
20人しか入らなかった学校が、50人収容できる校舎を作ったとします。しかし、0人でも50人でも、校舎の維持費、教職員の人件費、設備費といった固定費はほとんど変わりません。だから、50席を埋めなければならない。
少子化の中では、これは“集客競争”になります。

では、何が一番わかりやすく人を集められるでしょうか。
偏差値でしょうか。それとも進学実績でしょうか。もちろんそれもあります。しかし、もっと即効性があり、分かりやすく、ニュースにもなるものがあります。
それがスポーツです。甲子園出場。全国大会優勝。テレビで校名が連呼される。地元の応援。それは強力な広告です。

「この学校は強い」「この学校は有名だ」それだけで一定数の受験者が集まります。
学校とて、一般的なサービス業と構造は変わりません。ブランドを作り、集客し、席を埋め、固定費を回収する。

ここに善悪はありません。ただ、経営としては合理的なのです。
しかし、この構造の中で、子どもは何になるのでしょうか。
それは競技力の高い生徒は、学校ブランドを高める“戦力”という燃料として扱われます。
もちろん感謝もされるし、大切にもされます。

けれど、その子が10年後どう生きるかは、制度の中心テーマではありません。
学校の目的は「卒業させること」まで。その先の40年は、スポーツというゲームの制度の外に置かれています。
だからこそ、親だけは見なければならないのです。

この仕組みの中で、自分の子どもがどの位置にいるのかを。
スポーツ推薦は悪ではありません。スポーツによって鍛えられる特性も当然あります。
ただし、それは学校側にとっても“合理的な選択”であるという現実を、理解しておく必要があります。

感動や応援だけでは、未来は設計できない。
ここを見ないままでは、出口はいつまでも誰も教えてくれないのです。

学校はなぜ“出口”を教えないのか

教師はなぜ、そこまで考えてくれないのだろう?

進路といえば、理系?文系?とか どこの大学に行くか。
どの学部に進むか。どんな職業名を目指すか。
まるで、幼稚園児に将来、何になりたいですか? を聞いているのと同じくらい浅い範囲で語られるのが学校でやる『進路』です。

しかし、まだ進学系・就職系ならまだいいです。
進学は次の大学が責任をアシストしてくれるでしょう。 就職相談室もあるでしょうし。
就職も就職先で色々社会を経験するでしょう。

問題はスポーツ系です。前提が少なすぎるんです。

でも、その職業で“どうやって生きるのか”までは、体育教師ですら、ほとんど触れられません。

コーチになる。トレーナーになる。体育教師になる?
それは「肩書き」の話です。

しかし本当に重要なのは、その先です。

  • どこで雇ってもらえるのか
  • 年収はいくらか
  • 30代、40代でどうなるのか
  • 結婚や子育ては可能か
  • 怪我をしたらどうするのか

ここまで具体的に語られることは、ほとんどありません。なぜでしょうか。理由は単純です。

  • 学校は 入口
  • 教師自体も知らない
  • 推奨はできても、責任が発生する事まで強く推せない

学校とは、入学させる・卒業させる・進学・就職させる。という一連の流れを行う入口です。
そこまでが制度の責任範囲です。
私を含め教育者というのは、その子どもの親よりも、その子どもの特性を最大限まで引き出す術を知っています。
こうやったら、こうなるというのが見えているのですが、実行できません。 それは保護責任を明らかに逸脱する行為だからです。
その為、本来は10年後の収入曲線や、30代のキャリア停滞までは、制度の設計に含まれていません。
そして何より、教員という性格が、リアルよりも夢や希望を見せる傾向が非常に強い思想を持ってるからです。

そしてもう一つの理由、指導者自身がその世界しか知らない事が多いことです。
スポーツ推薦で入る子、またはその部署?を担当するのは当然、運動系の先生です。この教員もまた運動を中心に生きてきた人物です。
その循環の中では、「スポーツで生きる」ことが自然であり、疑問にならない。
悪意ではありません。ただ、世界がそこに閉じているのです。

では、親として何を考えるべきでしょうか。それが“出口戦略”です。
出口戦略とは、夢を諦めさせることではありません。 夢と同時に、別の通貨も積むことです。

例えば。

スポーツを続けながら、最低限のPCリテラシーを身につける。
給与明細を読めるようになる。社会保険や税金の仕組みを理解する。自分の経験を言語化できる力を持つ。
これらは派手ではありません。でも、30歳を過ぎたとき、確実に差になります。

別にHEARTSに入学してくれ!という事では無いのですが、世の中、国語・数学・理科・社会・・・ 色々なモノを学ぶと思いますが
絶対的に優先度の高いモノは 国語の習得ですが、2番目にPCスキルだと思っています。 この2つさえあれば世界の殆どの事ができるからです。
最も潰しが利く最高峰のスキルです。確実に。
だって、資本主義だからお金を持つ事が求められるんでしょう? 情報化社会なのにデジタル扱えないって、もう詰んでるじゃないですか。

(*´з`) なのでお勧めはしています。 良かったらHEARTSへ(/・ω・)/

努力は素晴らしい。しかし、努力の方向が一方向だけでは、武器は“期間限定”になります。特に運動系は。
プロになれなかったら? 怪我をしたら? チームが解散したら?この問いに、具体的な答えを持っているかどうか。それが出口戦略です。

母親として、「頑張っているから大丈夫」と思いたくなる気持ちは、よく分かります。
でも、本当に守りたいのは、今の頑張りですか? それとも 10年後の生活の安定ではないでしょうか。
夢を応援することと、現実を設計することは、両立できます。
むしろスポーツ推薦系は、両立させなければいけない。
ここから目を逸らしたままでは、子どもは社会という別のゲームに、丸腰で放り出されてしまいます。
それは優しさではありません。それは、準備不足です。

シミュレーションから見るリアルな世界

では、親として、頑張っている我が子に出口戦略が必要だと思った所で、想像できないですよね?
だって、既に想像できていたら、漠然と頑張れと言えないはずですから。 
なので、ここでは スポーツ系の子がその後進む将来について、リアルな内容でシミュレーションします。

では、高校又は大学などでスポーツ系から卒業し、就職したとします。ここからスタートします。
ここではプロになれなかった場合(あるいは最初から目指していない場合) を中心とします。 

一般企業への就職

多くの場合は、既に先輩がいるなど、学生が大学の名前を活かして一般企業へ進みます。

  • 体育会系ブランドの活用
    営業職や警察・消防などの公安職、建設業界などでは、今でも「上下関係を理解している」「忍耐力がある」「体力がある」という評価で、偏差値以上の企業に内定をもらえるケースが多々あります。
  • OB・OGネットワーク
    強豪校であればあるほど、企業にいる先輩との繋がり(いわゆるリクルーター枠)が強く、一般の学生よりも有利に選考が進むことがあります。

実業団・プロへの道(エリート層)

偏差値に関わらず、圧倒的な実力があれば、企業が運営する「実業団」に入り、仕事をしながら(あるいは競技専念で)給料をもらう道です。引退後もその企業に残り、正社員として「第二の人生」を送れることが多いため、非常に安定したルートと言えます。

指導者・教育関係

教員免許を取得し、母校や地域のスポーツ指導者になるパターンです。
専門学校出身の場合は、パーソナルトレーナーやインストラクター、接骨院の助手など、より現場に近いサポーター的な役割や「技能職」に就くことが一般的です。

こう見ると、なるほど、それなりに進む道があるじゃないかとも思えますがリスクも当然あります。

  • 怪我による挫折
    怪我をして競技ができなくなった瞬間、推薦の条件が崩れ、学力的にも大学生活についていけず中退してしまうリスクがあります。
  • 脳筋の限界
    競技だけに没頭し、基本的なPCスキルや言語化能力を磨かずに卒業すると、30代・40代になった時に、体力勝負の仕事以外に選択肢がなくなってしまいます。
  • 学歴のギャップ
    大学名が立派でも、中身が伴っていないと、入社後に仕事で苦労し、早期離職するケースも見受けられます。

つまり選択肢はあれど、そこについていけなければなりません。
特に、有名高・有名大学など、 スポーツ推薦のメリットというのは、看板を借りる事がデキるというメリットです。
その看板で躍進デキることはできますが、看板によってある程度加速してもらったら、その後は自分の実力で掴み取っていく必要があります。

それ故に、スポーツ推薦というのは、学業よりもスポーツがデキるではなく。
それで稼ぐというプロを除けば、全員が、学力もスポーツも両方できなければならないと言う2重苦を背負っているという状態で。
しかし、2重のターボを掛けてる状態なんです。上手く行けば、普通に学力だけ頑張ってる子よりも思いっきり加速できるし、失敗すれば失速して落ちてしまうと言う感じです。

では偏差値以上の企業に内定をもらえるケースこれについて解説します。
なぜ、企業は運動をしていた子を採用してメリットがあるんでしょうか?

偏差値以上の企業に内定をもらえるケース

採用する側として、企業はスポーツをしていた子を採用するメリットとはなんでしょうか。
次の入口の基準を知っておく事は、出口戦略としても非常に重要です。

「ストレス耐性」という最強の武器

偏差値の高い学生でも、仕事で上司に怒鳴られたり、理不尽な要求をされたりすると、ポッキリ心が折れてしまうことが多々あります。
一方で、強豪校の運動部にいた子は、「理不尽な練習」や「厳しい上下関係」を3年〜7年も耐え抜いてきた実績があります。
そして頑張ったからという理由で、結果が出ない事もあるというのを当たり前に分かっています。
企業から見れば「多少のことでは辞めない」という安心感は、学力よりも高く評価されることがあります。

「可愛がられる力」と「根回し」

体育会系の世界は、究極の「縦社会」です。先輩の顔色を伺う、飲み会で気を利かせる、挨拶を徹底するといったスキルは、日本のビジネスシーン(特に接待や社内調整)において、実は即戦力になります。
「あいつはバカだけど、気が利くし根性があるから助かるよ」と上司に言わせるポジションを確立できるのは、彼らの特権的な戦略です。

「勝負どころ」を知っている

スポーツ推薦で大学まで行く子は、常に「結果」を求められる環境にいます。

  • どうすれば勝てるか(目標達成)
  • 負けた時にどう立て直すか(リカバリー) これを身体に叩き込んでいるため、数字を追いかける営業職などでは、高学歴な理論派よりも圧倒的な成果を出すことがよくあります。
「型」にハメやすい

中途半端に知識がある場合。本当に中途半端に…ある子の場合。「なぜこの作業が必要なんですか?」と理屈で反論するタイプもいますが、体育会系の子は違います。「ハイ!」という返事と、組織のルールを絶対視する習慣が染み付いています。 上司の指示に疑問を持たず、兵隊として忠実に動いてくれる人材は、特に営業現場や製造現場では管理がしやすく重宝されます。

つまり企業の側としても業務とは直接的に関係なくとも、人間関係やコミュニケーションの円滑さという点で一定のメリットはあるのです。
これがメリットであると同時にデメリットでもあるのです。

まず、同じ努力といっても努力の種類が全く違う点です。
スポーツ推薦で上がってきた子の多くは、確かに「練習」という苦行には耐えられます。しかし、それは「ルールが明確で、答え(勝ち負け)がすぐ出る世界」での努力であり 「100本ノックなら耐えられるけど、100枚の伝票処理やExcel作業、地味な企画の裏付け調査には1時間も耐えられない」という感じです。
これは「自分が理解できない苦痛(頭脳労働)から逃げている」状態でもあります。

次に万能感」と「無力感」の落差が大きすぎる点です。スポーツ中心である場合、特に彼らは10代・20代前半まで、狭いコミュニティ(部活や学校)又は家族、特に母親の中で「ヒーロー」として扱われてきました。
今まで「勝つこと」で自己肯定感を保ってきましたが、実社会に出た場合、全く違うルールである為に、これまでの頑張りが通用しない。結果的に「できない自分」と向き合うという機会が少ないと言う点です。
「できない自分」という屈辱的な状態に耐えるメンタルが実は育っていないケースが多いのも事実です。大手企業に入りながら、早期離職の最大の原因です。
大手企業に入った瞬間、自分より遥かに頭の切れる同僚に囲まれ、自分はコピーの取り方もブラインドタッチもままならない「お荷物」になります。 仕事はルールが曖昧で、答えが出るまで数年かかります。

学校の教員のアドバイス

さて、私がこの記事を書くきっかけになった、体育教員の学生へのアドバイスです。
その子はバスケ部の部長です。3年生になります。 この部長に対して、バスケ部の顧問の先生が進路についてどうするんだ? という話をしていたのを横でたまたま聞いてたのです。 そこで出てきたのが『どこかのチームのコーチになるという選択もあるんやぞ』という言葉です。

( ゚Д゚)!!

正直、目が点になりました。 凄い無責任感!! と思いました。
バスケットボール(あるいは他の競技)のコーチだけで「まともに食べて、結婚して、家族を養う」のは、宝くじに当たるよりはマシですが、相当な「修羅の道」です。良い大人が、これからという18歳に何というアドバイス何だろう! という驚きが隠せませんでした。

では、コーチとして生きていけるのか? 検証しましょう。
日本で「コーチ」として給料をもらえる場所は、驚くほど限定的です。

  • 学校の外部指導員: 謝礼程度(数千円〜数万円)のことが多く、それだけで生活するのは不可能です。
  • プロ(Bリーグ等): ほんの一握りのエリートのみ。成績が悪ければ即クビの厳しい世界です。
  • 実業団: 企業の社員としての給料ですが、休部は日常茶飯事。
  • 民間のスクール: 子供向けの教室など。給料は決して高くなく、時給換算するとコンビニバイトと大差ないケースも多いです。

普通に何も無くコーチとしてやっていくのは非常に難易度が高く、休日も少なくなります。
なのに、なぜ顧問がそんなことを言うのか。それは顧問が「自分の知っている世界」がそこしかないからです。
顧問自身も「スポーツのおかげで今(教師という安定職)がある」という成功体験があるため、教え子にも「スポーツの周辺にいれば何とかなる」と無邪気に信じ込ませてしまうんです。
でも、顧問は「教師」という国家資格と安定給与があるから生活できているわけで、「資格のない、ただバスケが上手いだけのコーチ」がどれほど不安定かは想像できていないのでしょう。

「コーチになる」という言葉を「ただバスケに関わって生きていく」というフワッとした意味で使っているなら、30歳を過ぎたあたりで「貯金なし、スキルなし、体力の限界」というトリプルパンチを食らう確率が非常に高いです。

子育てに必要なのは“応援”ではなく“設計”

子どもが何かに本気で打ち込んでいる姿を見ると、親はどうしても応援したくなります。
これに例外はありません。「好きなことをさせてあげたい」「本人が納得するまでやらせてあげたい」
その気持ちは自然で、決して間違いではありません。
むしろ、それだけ真剣に向き合える子に育ったこと自体が誇らしいはずです。

しかし、応援は感情です。
けれど子育ては、感情だけでは完結しません。子育てには設計が必要です。

スポーツでも勉強でも同じですが、Aプランに全力を注ぐなら、同時にBプランを持っているかどうかが、その後の人生を大きく左右します。
プロを目指すなら、プロになれなかった場合の進路は具体的に決まっているでしょうか。
怪我をした場合、学業や資格の準備は間に合うでしょうか。
引退したあと、何で収入を得るのかを、数字レベルでイメージできているでしょうか。

多くの家庭では、「その時になったら考えればいい」と後回しにされます。
しかし社会は待ってくれません。大学卒業の時点でスキルがなければ、企業は容赦なく評価します。
入社後にパソコンが使えない、論理的に説明できない、数字が読めない。そうなった瞬間、子どもは「今までの努力が通用しない世界」に放り込まれます。
そのときに一番傷つくのは、子ども自身です。

設計とは、夢を否定することではありません。夢を守るための土台を作ることです。
スポーツに打ち込むなら、同時に最低限のITスキルを身につける。社会のお金の仕組みを知る。自分の経験を言語化できるようにする。これらは派手ではありませんが、将来の選択肢を増やす“保険”になります。

「好きなことをやらせてあげたい」という優しさは、とても尊い。
でも、本当に守りたいのは、10年後に困らない人生ではないでしょうか。
応援だけでは未来は保証できません。設計があって初めて、努力は資産になります。

子どもが一生懸命であることと、将来が安定していることは別問題です。
その二つを結びつける橋を架けるのが、親の役目です。感情の応援と、戦略的な設計。この両輪があってこそ、子どもの努力は無駄にならないのです。

「今」ではなく「10年後」から逆算する教育

ここまで読んでくださった保護者の方は、きっとこう思われているはずです。

「じゃあ、何をさせればいいの?」

特別な才能を伸ばすことでも、偏差値を上げることでもなく、将来の市場価値につながる学びとは何なのか。
ここを曖昧にしたままでは、どんなに問題提起をしても意味がありません。
HEARTSが大切にしているのは、「今の成果」ではなく「10年後に通貨になる力」です。

例えば、パソコンスキル。多くの方が「タイピングができればいい」「WordやExcelが使えれば十分」と考えます。
しかし実際の社会では、単なる操作ではなく、「資料を組み立てる力」「数字を読み取る力」「相手に伝わる文章を書く力」が求められます。
これはテストでは測れませんが、企業では確実に評価される力です。

また、お金の仕組みや契約、社会保障、税金といったテーマも同じです。学校ではほとんど触れられませんが、社会に出た瞬間から向き合わなければならない現実です。給与明細を読み解けるかどうか、ローンやクレジットの仕組みを理解しているかどうか。ここに差が出ます。

また、従来の力を併用して「自分の経験を言語化する力」です。
スポーツで培った努力や忍耐を、ただの思い出で終わらせるのではなく、「自分は何ができるのか」「どう価値を生み出せるのか」と説明できる力に変換する。これができる子は、どんな世界に行っても強い。

HEARTSは、教育の現場を知る立場と、経営の現場を知る立場の両方から、この設計を考えています。
教員免許を持つ教育者としての視点だけでなく、実際に人を雇い、企業側の評価軸を知る経営者の視点から、「何が本当に必要か」を逆算しているのです。

大切なのは、スポーツを否定することでも、夢を諦めさせることでもありません。どんな道を選んでも通用する“基礎装備”を持たせることです。
子どもが何かに打ち込むことは素晴らしい。
その努力を無駄にしないために、横にもう一本の軸を持たせる。それがHEARTSの役割です。

それを、感情ではなく構造で考える。
それが、本当に子どもを守る教育だと、私たちは考えています。

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