なぜ、勉強しなければならないのかという質問の私の答え

先日、このニュースを見ていました。


色々と思う事があり、一気に書いてしまったというか、吐き出したという感じです。

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鰻を食べなくても、死なない

世の中、「これがないと生きていけない」というものは、意外に少ないものです。 

例えば、英語が話せなくても生きていけるし、美術がなくても生きていける。
パソコンスキルだって、なくても生きていけるルートは残ってる。相当詰みますが…。
鰻だって、とてもおいしいけれど、食べなくても別になんてことはありません。

鰻を食べたことがない人は、当然に鰻の味を知らない訳ですし、何より食べたいとすら思わないのかもしれません。
しかし、鰻を食べたことがある人からすれば、「食べたことがないなんて、人生の半分損してる!」と言うかもしれません。
大げさに聞こえるようだけど、でも、それは食べた人間にしかわからない実感です。

知識や経験とは、そういうものだと思っています。
なくても生きていける。でも、見えている世界が根本的に違う。
つまり、どちらかというと、嗜好品に近いものであり、本来は金持ちが所有するものであった訳です。知識とは。

勉強が嫌いな子どもが多いですが、この贅沢品である知識を得るというのが、そんなに嫌なら、やらなきゃいいと思うし、早く詰んで底辺を体感してしまてから、本当に必要なのだと理解して学ばしたほうが相当効率が良いと思っています。
ダラダラと何年も、まるで他人事のように、他人に言われてやるような無駄な人生を送るくらいなら。

神戸牛を嫌々食べるとかなら、食べなきゃ良いじゃない。
空腹になって、食べる事の重要性を感じてから、食べたほうが余程価値を知る という事を言っています。

知識とは、世界を感じる五感である

知識とは、いわば世界を感じるための「もうひとつの五感」のようなものだと私は思っています。

花を見たとき、その色の名前を知っているだけで、目に映る景色が変わる。
音楽の構造を少しでも知っていれば、同じ曲でも聴こえ方が変わる。
歴史を知っていれば、街を歩くだけで風景の奥行きが変わる。

そして、一度知ってしまうと、元には戻れないものです。 
「知らなかった頃の自分」には、もう二度と戻れない。
それは失うことではなく、世界が広がり、可能性を知ってしまった事で、知らない世界にもう戻ることができなくなります。

多くの子どもは、そのことを知りません。
そして、多くの親もまた、それを教えていないように感じます。
勉強しろとは言いますが…。

国語、数学、音楽、そして美術——すべては世界を感じるチャンネル

そもそも、教科とは何でしょうか。

国語は、文字を使って世界を感じ、文字を使って世界に発信する技術。
数学は、数字を使って世界を感じ、数字を使って世界に発信する技術。
音楽は、音を感じ、音を世界に発信する技術。
美術は、デザインや視覚情報を使って世界を感じ、世界に発信する技術。

すべては、世界を知り、世界を感じて、世界の中で自分を表現するための手段のひとつです。
そして、それぞれの手段を持つことで、この世界の深みを、より多く知ることができるのです。

本来、学ぶとはそういうことのはずです。
いや、古代ローマ時代はそうでした。

勉強が「点数」に成り下がった日

しかし現実は、どうなっているか。

勉強や知識というものが、実質的に「点数の評価基準」というものに成り下がっています。
多くの場合、この点数がすべてであり、塾はいかに短時間で解くか、いかに効率よく暗記するかというテクニックを教える。

当然、子どもはそこに価値を感じられない。

しいて言えば、その先にある「いい学校」「いい成績で認められること」「いい会社」——
親や大人が教える漠然としたイメージを、なんとなく信じることがほとんどです。

そこに、「世界を感じよう」という意思はありません。

先日みた、学校の成績よりも塾の評価を優先する親が増えているというニュースを見て
学校で何を学んだかより、塾でどれだけ点数を上げたかが大事だという価値観。
それは、子どもに何を伝えているか。「学ぶこと」よりも「数字を取ること」のほうが価値がある、というメッセージでもあります。

それは私が取り扱う、知識と経験という本質から、ずいぶん遠い場所にあります。

子どもは「世界」よりも「フェイク」に没入する

知識や経験から来るリアルな世界よりも、ゲームやSNSなどの作られたフェイクの世界に没入する子どもが増えている。

それを嘆く大人は多いものです。
しかし、考えてみてください。

リアルな世界を感じる手段——つまり教科という「チャンネル」を、点数という一次元の数字に押し込めてしまったのは、大人の側です。
世界の奥行きを感じる回路を閉じておいて、「もっと現実を見ろ」と言うのは、矛盾しています。

子どもがフェイクの世界に逃げているといよりも
リアルの世界を感じるための道具を、大人が渡していないだけとも言えるのではないでしょうか。

フェイクの世界はなんでもありです。フェイクですから。
だから高刺激で中毒性があります。
身体によい食事は、決して濃い味ではないし、自然の旨味を引き出した料理であったりします。
これに対して、子どもたちは、強い刺激の味が付く、お菓子が好きですよね。ごはんよりもお菓子。
そして、食事とは、その食べたもので身体が作られます。

これと同じように、フェイクやSNSなどのバズるための高刺激の情報ばかりを見ている。
自分で精査したり精錬した情報でないものを頭の中に入れる。
頭に入ってきた情報で、人の価値観は育てられます。
フェイク情報やゲームばかりの世界、リアルでない情報を頭に入れ続けて、影響が出ない事はありません。

毎日、ポテチばかり食べてる子どもの体が、少しづつでも確実に身体を破壊するように
毎日、SNSやフェイク情報、他人の顔色ばかり見ている子どもの思考が、少しづつでも確実に破壊されていくのは当然です。


鰻を食べたことがない人は、鰻の味を知らない。
知識や経験が無い人にとって、ただ世界を「見ている」だけで「感じていない」のかもしれない。

それは、とても残念なことだと思う。

今、私は 夜中まで作業をして、自宅に帰り夜中の2時から夜中の4時までの2時間、勉強をしている。
はっきり言ってしんどいのだけど、でもこの勉強している時間が結構楽しい。
寝るのがもったいないくらいだし、勉強だけして生きていけるのなら、ずっと勉強しておきたいとすら思える。
だから学生が本当にうらやましい。

だから、残念なんだ。 点数なんかの為に、この知識を使う事がね。

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